『ピーターパン』に出てくるウェンディのパパを知っていますか?
子どもたちの空想を「くだらない」と否定してばかりの、ちょっと厳しいお父さんです。
子どもが現実離れした話や空想ばかりしていると、「もっと現実的に考えなさい」って、つい言いたくなりませんか?
そう。ウェンディのパパみたいに。
「現実を見ろ」って、誰に言っているんだろう?
子どもに? それとも、自分自身に……?
6歳の娘と3歳の息子と一緒に『ピーターパン』を観ていたときのこと。
あるシーンで、ふと思ったんです。
「なんでウェンディのパパは、あんなに空想を否定するんだろう?」

ウェンディが「ピーターパン」や「海賊」や「人魚」の話をすると、お父さんは「くだらない」とバッサリ否定。
お母さんには「お前がしっかりして空想をやめさせないと、子どもたちは立派な大人になれないぞ」とまで言う。
さらには、「弟たちと部屋を分けるぞ」なんて、脅すようなことまで…。
「このパパ、ちょっとキツすぎない!?」と、正直モヤモヤしました。
でも…。
映画を最後まで観たとき、気づいてしまったんです。
ウェンディのパパも、実は癒やされるべき存在だったんだなって!!
🎩ウェンディのパパは、ピーターパンに出てくる「大人」の象徴

ピーターパンといえば、「子どものまま、大人にならない存在」。
永遠に自由で、冒険心にあふれ、空想と現実のあいだを飛び回るキャラクターです。
でも、物語として成り立たせるには、子どもの世界を否定する『ピーターパンと対になる存在』が必要なんですよね。
それが、ウェンディのパパ!
(※あくまで、わたしの考察です)
- 現実主義
- 空想の否定
- 社会的成功の重視
- 「自分の偏った正しさ」を子どもに押し付ける存在
つまり、ウェンディのパパは、ピーターパンという『永遠の子ども』を際立たせるために登場する、典型的な『大人』の象徴なんです。
🩵芯のあるウェンディを育てたのは、母の愛

ウェンディは、ただ空想を描いて夢を見ているだけの女の子ではありません。物語の中で、芯の強さを何度も見せてくれるんです。
たとえば、先住民族のお祝いのシーン。
ウェンディがバカ騒ぎをしているピーターパンや弟たちと一緒に踊ろうとした時、先住民族の女性がこう言います。
「女、踊らない!女、働く!」
この男尊女卑的な発言に対して、ウェンディは迷いなくこう返すのです。
「女、働かない。おうちに帰ります」
さらに、お母さんに会いたいと寂しがる子どもたちに対して、ピーターパンが「ずーっとここで遊んでればいい!」と無邪気に言い放つ場面でも、最初は共に楽しんでいたウェンディが、しだいにこう思い始めます。
「ずっとこうしてはいられないのよ」
空想の世界の中でも、現実とのバランスを取ろうとする感覚を持ち合わせている。それがウェンディという女の子の魅力です。
では、なぜウェンディはそんなに芯の通った、優しさと強さをあわせ持つ存在になれたのでしょうか?
きっとそれは、彼女のお母さんの存在があったからだと思うのです。
👩👧母性で家族のバランスを整える、ウェンディのママ

ウェンディのママは、物語の中でそっと家族のバランスを取ってくれる存在です。
お父さんが厳しい言葉を子どもたちに向けたあと、お母さんはこんなふうに声をかけます。
「あなたのお父さんは、心からあなたたちを愛しているのよ。
どうか、お父さんを許してあげてね」
このセリフ、本当に素晴らしいと思いませんか?
お父さんを否定せず、それでいて子どもの心も守る。
まさに、母性の象徴のような存在だと感じます。
さらに、子どもたちがいない場面では、夫に対して「1人部屋は、少し早すぎるんじゃないかしら?」と冷静に提案。
「本心で言ったわけじゃないんだ…」と本音を漏らす夫に対してすかさず、
「まぁ~それを聞いたら子どもたちも喜ぶわ!」
- 夢を大切にしたい子どもたちの世界
- 現実的な視点で導こうとする父親の価値観
この2つを真っ向からぶつけず、優しさと理性で間をつなぐウェンディのママ。
子どもを守りながら、大人も否定しない。
そんな母の姿勢が、きっとウェンディの中に受け継がれていたんだと思うのです。
🌙ウェンディのパパもかつては夢見た子どもだった
正直わたしは、こう思って観ていました。
「なんて頭でっかちなお父さん!」「お母さん、素敵すぎる!」って(笑)
でも、ラストシーンで完全にやられました。
ぐわっと心を掴まれたのです。
ウェンディがネバーランドから戻り、両親にこう語ります。
「ネバーランドに行ってきたの。すてきだったわ!」
最初は「夢でも見たんじゃないのか?」と疑う両親。
でも、空を見上げた瞬間、ふたりの表情が変わります。
空には、大きな海賊船(にしか見えないリアルな雲)が浮かんでいる…。
そのとき、ウェンディのパパがこうつぶやくのをわたしは見逃しませんでした(笑)
「……なんだったっけ……?
小さいころ、わたしもこれを見たことがある気がする……」
パパーーーーー!!!!!涙
そう!
ウェンディのパパも、かつてはウェンディのように夢を見ていた子どもだったのです。
空想して、ワクワクして、海賊や妖精の世界に心をときめかせていた少年。
けれど、成長する過程できっとこう言われたのでしょう。
「そんなのはくだらない」
「現実を見ろ」
「大人になれ」
それが、いつしか自分自身の言葉に置き換わって、ありのままの自分でいることを自分で否定するようになったのではないでしょうか。
🪞自分を抑え込む声は子どもを責める声になる
もしかしたら、ウェンディのパパは、人一倍空想が好きだったのかもしれない。
けれど、「夢を見るだけでは立派な大人になれない」と信じて、自分を律し、抑え、努力を重ねて社会に適応してきたのでは?
そこにあったのはきっと、
『ありのままの自分では認めてもらえない痛み』
だったんだと思います。
だからこそ、子どもたちが無邪気に夢を語ると、無意識に「そんなのはダメだ」「もっと現実を見なさい」と言ってしまうんですね。
まるで、自分の中の『少年時代』を否定するように。
人は、自分が封じ込めてきた感情や願いを他人が表現している時、それをまぶしく感じる反面、恐ろしくも感じるのです。
なぜなら、それを認めてしまうと、「自分が長年かけて積み上げてきた努力と我慢が崩れてしまう」から。
🧚子どもをありのまま認めるには、自分に気づくこと

ウェンディのパパは『ただ夢を否定する大人』なんかじゃありません。
その心の奥には、『夢を見ることをあきらめた小さな男の子』がいるのかもしれません。
夢を語っていいんだよ。
誰も否定しないよ。
ワクワクドキドキすること、考えていいんだよ。
もしウェンディのパパがそんなふうに、自分のありのままの姿を受け止めることができたら…
きっと深いまなざしで子どもを見守れるようになれるはず。
わたしたち大人も、ウェンディのパパと同じかもしれません。
子どもが空想ばかりしたり、自由すぎたり…
子どもが子どもらしくいることにイラっとする時。
それはもしかすると、自分自身がかつてあきらめたり我慢したりしてきた何かが、心の奥でざわついているサインなのかも。
あなたは何を我慢してきましたか?
どんな自分を置いてけぼりにしてきましたか?
自分の一番の味方でいられるのは、いつだって自分自身。
「我慢しなくていいよ」
「ありのままでいてもいいんだよ」
そうやって、まずは自分自身に声をかけてあげたいですね。
それが、子どもをありのまま受け入れる一歩になるのかもしれません。

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